愛原先生、ちょっといいですか?
いいわよ、どうしたの?
ちょっと気になる子がいて。
ふぅ~ん。そう。
褒めても素直に喜んでくれないんです。わざと褒めてるわけじゃないですよ。本当に褒めているんだけど、それでも・・・。
あら、子供の時の私にそっくり。
え!そうだったんですか?
褒めれば喜ぶ、の概念を捨てよう
ふふ、私はまさにそんな子だったわ。
私の家庭はちょっと複雑だったせいもあって、褒められたりした経験があまりなかったの。
そのせいか今でいう「自己肯定感」というものがとても低かったのよ。
「どうせ私なんか」とか「私なんかいなくても」とか常に考える子だったの。
だから、急に誰かから褒められても素直に喜べなかった。
「大したことしてないのに私を褒めるなんて、きっと何か(裏が)ある?」
って真っ先に思っちゃうのよ。
えぇ!じゃあ褒めるのは間違いだったのか・・・。
そうでもないわよ。話は最後まで聞きなさい。
でもね、「誰でも」褒めれば相手は喜ぶ、承認欲求が満たされる、と考えているならそれは間違いね。
素直に喜べないのは「自分を守るため」かもしれない
私がなぜ喜べなかったのか。
それはね、幼少期に褒められたい、こうすれば褒められるかな?と思ってしたことに期待通りの反応がもらえなかった経験があったからなの。
私の両親は褒めるのが苦手だったわね。
私が認めてほしい、褒めてほしいとお手伝いや片づけをがんばっても、
「そんなことしても何も買ってあげないわよ。」
「またそんなご機嫌取りみたいなことをして。」
とか言われることの方が多かったの。今となれば両親も褒められる経験が少なかっただろうな、と思うけど、当時はつらかったわよね。
だから私はいつの間にか褒められること、認められることをあきらめることにしたの。期待すると傷つく、ならば期待するのをやめようってね。
淡々とそつなく生活していれば怒られることはない。それでいいやって。
と同時にね、褒める、褒められるには何か裏があるのだろうと思うようになってしまったのよね。
中学年くらいまでの先生は褒められたときの私の反応を、謙遜していると受け取って「落ち着きのある子」「冷静な子」「謙虚」という評価をくれたわ。私もそれで満足していたの。
褒められる不安
でも、5年生の担任の先生は違ったの。
その先生は子供たちのよいところ、よい行いを積極的に探し、とてもよく褒めてくれたわ。
褒め方もちょっと違ってね「できたね。」とか「すごいね。」じゃなくていつも「ありがとう。」だったの。
「~してくれてありがとう。」だけじゃなくて「素敵な笑顔ありがとうね。」「あいさつで元気をもらったわ。ありがとう。」とかね。
ある日、みんなと同じように褒めてくれた時に私が
「そんなことない。大したことしてないもん。」
っていったら、その先生はこう言ったの。
「褒められるのって、ちょっと怖いと思うことあるよね。わかるわ。」
って。
思わず
「え?どういうこと?」
って聞いたの。そしたらね、
「褒められるって基本うれしいじゃない?でも、いつも期待に応えなきゃいけないってプレッシャーになることもあるわ。」
「あと、もっと褒められたい、もっと認めてほしいっていう思いが強くなって、自然に良いことをするんじゃなくて(褒められるから)するっていう風に自分が変わってしまうかもしれないでしょ。」
って言ったの。
そしてね、
「でもね、褒められたいからでもいいのよ。その結果いいことをしているんなら誰も損してないんだから。」
「私はこれからもあなたのいいところを見つけたら気軽に褒めるわよ。だからあなたも気楽に受け取ってね。聞き流してもいいのよ。」
って言ってくれたの。
人間関係ができてから「褒める」が「認める」になる。
衝撃だったわ。褒めるには何か裏があるんじゃないかと思っていた私にとって、こんなにも気軽に褒める人がいるなんて。
そっか、もっと気楽にいようって思えたの。
ある時先生が、
「今日の発表良かったわ。授業が盛り上がったもの。ありがとうね。」
と褒めてくれたので、
「ふふっ。」
ってはにかんで笑ったの。そしたら先生もニコッて笑って
「いい笑顔ね。」
って言われたの。それがなんだかうれしくて。
あぁ、私の何気ない反応まで認めてくれるんだ。って思ったのよ。
それからね。先生のありがとうの口癖がうつっちゃったみたいに、褒められたら「ありがとう。」って言えるようになったの。
だから、並川先生も褒めよう!と気負わない方がいいわ。自然に出る「ありがとう」は最高の褒め言葉よ。
愛原先生・・・。
なぁに?
なんか感動しちゃって。泣いてもいいすか?
大人相手によしよしはしないわよ!(笑)
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